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【2010/12/03 11:12 】
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「死にまつわる夢の話」のその又続き

        「『死にまつわる夢の話』のその又続き」


 「死後の状態を知らされた夢」の話をしましょう。これは私の夢です。
 
 これをお話しするについては覚悟のいることでした。が、結果的には夢がほっと安心を置いて行ってくれたのでお話しすることにしました。

 夢は、「亡くなった父が一心不乱に、火のついた大釜の前で染めの仕事をしている」というそれだけのことです。しかし夢を見ている私には,これが父のあの世での現在の姿だと分かっています。
 
 父は生前、染色職人でした。父がこの世で仕事をしていた頃は、この分野で世界最高の技量を求められていたのではないかという自負があったようです。大勢の職人さんと、小僧さんと、女中さんと、祖父を中心にした三世代家族が戦後のどさくさを活気に満ちて生きていました。
 子供の頃,周りの大人たちが寄ってたかって,父に駄目出しをしているのを、見ていたものです。義父に当たる祖父は容赦なく父を叱咤していました。父は要求される色を出せる職人として、かなりの才があったようです。自慢する訳ではありませんが,私の目にも父の技量には目を見張ったものです。才能は周りの厳しさに支えられて,更に向上します。
 祖父は外交上手で,職人上がりながら技術は並でも見る目は肥えているのと、出来上がった品物を納める役目は責任重く,妥協していては仕事をもらえないからでしょう。生活態度は常に威圧的でした。
 どの家も貧しかった戦後の日本で,生活の心配はしたことがない程、恵まれてはいましたが,父は酒乱でした。家庭の中は複雑で,人間関係はいつも緊張の連続。その上昼間は仏の父が、夕方からは夜叉になります。
 これが原因で執拗ないじめに遭い,病気になり,手術の繰り返し。そんな十回以上に及ぶ私の入院中に、父は一度も見舞いにきたことがありません。今となるとあまりの潔さに、お話しする私の方が恥ずかしいくらいですが。
 
 封建的で御家大事の両親と、私はどうしても話が合いませんでした。身体が弱いと両親の庇護が支えです。長じて,自分が人並みな生活をできるとは思えない自尊心のなさが私の心を萎えさせ,依存心に拍車がかかりました。これが両親と私の間で,互いを縛る協定になったようです。
 その後紆余曲折があって,自分本来を通して生きる為に私は決別することを選びました。これが人間として正しい選択かどうか,長いこと悩み悶え苦しみました。

 和解することなく父が亡くなって,何年かした後に見た夢がこれです。
 
 この夢を見て,この夢を見せてくれた神に感謝しました。父の聖なる部分も私がこの夢を見ることを了承してくれたのだと、私は受け取っています。
 
 この夢が私の心にほっと安心をくれました。
 私は心の中で父親に言いました。「これで貸し借り無しね」。彼は生前の私を嘆いている訳でも,自分の行いを悔いている訳でもありません。あの世で一心不乱に彼の為にすべきことをしているのです。
 この夢で,貸し借りが無くなる訳ではないけれど,負の絆は解けたように思います。思い通りを生きてみよう。やがてあの世で彼に会った時、人生思い通り生きられて幸せでしたと言えるように。その時本当の孝行が出来るのではないかと,いまの私は考えています。
【2007/07/29 06:41 】
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