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「機織り」がこだまする
      「機織り」がこだまする

   先日のワークショップのことです。これから機織りで食べていきたいという方がいました。これを聞いたわたしは、その後、自分の心の軌跡を辿るような体験をしています。

   機織りというその響きや、それによって呼び覚まされる魂が覚える懐かしさや、この職人仕事の仙人のような一途で無邪気な生きかたや、あぁ、何もかもが馥郁と香り立つ贅沢な響きを持って、「はたおり」がこだまします。

   恐らく、これを読まれる方たちに、この心境は伝わらないかもしれないと正直思うのですが、この世にいて、この世に生きていない。夢を語る日が来るまで、この世は住み難いと過ごして来た身に、これまでを振り返る格好の機会を得たような響きだったのです。

 それで、その方にエールを送りたいという衝動にかられます。しかし言えません。だから、その方に面と向かって言えないそれを、自分に向けることにしました。

   その方の心配は機織りで食べていけるかどうかです。心配ですよね。この世の大方の関心は、成功すること。お金に不自由しないこと。お負けに言えば、他人様のご厄介にならずに生きて行くこと。 

   好きを仕事にして、食べていけるかどうか、その食べるという基準は人それぞれで、他人があれこれ言える隙間は無いのが常です。

   夢の話をしていれば、ときに美辞麗句に遠い、真実に思えたことを言います。そんなとき、わたしはいつも夢に直に対面している自分を感じながら、その立ち位置を大切に言葉を発します。

   耳に響きの良い言葉を期待していた人にとっては、手痛いこともあるようで、そんな思いをされた方から、半年一年してお礼の言葉を言われることがあり、そんなとき全身から力が抜けて、その方の魂の美しさにオロオロします。夢の大切さを知る魂に出会えたと。

   百人の敵に、いえ、万の敵にたったひとりの味方を見つけたような気分で震えます。こんな滅多に無い衝撃こそ、好き勝手に生活する者へのぼたもちかもしれません。

   お金持ちにはならないけれど、こうした麗しいお言葉をいただけるのは、わたしが好きなことを曲げないからでしょう。その意味では何の苦労も努力も要らないところで、コツコツ好きを貫いたのだと思います。これも言ってみれば職人仕事です。

   話を戻して、古来からの技仕事の尊さは、この商業ベースの世の中では、風前の灯です。子供の頃廻りはたくさんの職人さんと小僧さんが闊歩していました。時代の変化とともに多くの職人さんが消えて行きました。

   そんないまは無い職種の職人さんがどんな生活をしていたか、その貧しさを知っているので、尚のこと他人には勧められませんが、彼等の満足はお金ではなく、自分にしか分からない仕事の仕上がりでした。ひどく乱暴な言い方で申しわけありませんが、ここにわたしは引かれるのだと思います。誰の賛同も得られないとしても、天とわたしはこれを知っている。そう言う全身を満足で包む体験は、あの世に自分を豊かに持って行かれるだろうと思っています。

   尾形光琳作と謂われる数々の仕事も、職人仕事に思えるし、敦煌の壁画も信心と合わさった職人芸、お寺の山門に施された彫刻の遊び心は、大胆にして伸びやかな職人芸。。。。。

   やっぱり、「はたおり」が木霊しています。
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【2010/05/02 18:00 】
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