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無上の喜びを感じることが多くなりました
   「無上の喜びを感じることが多くなりました」


   ここに来て、「なんたる幸せ!」と思うのです。

   なにがどうでもなく、ただ「なんたる幸運?!」と突然思うのです。脈絡はありません。

   心配事も言ってみれば、山ほどあり、この身を恥ずかしく思ったり、わたしが存在することで、ご迷惑をかけた人々にお詫び行脚をやってから、この世をさよならしようなどと、くだらないことを考えたりもするのですが、ときにただただ幸せを感じます。

   無上の喜びを感じる回数と中味が濃くなりました。

   これを文字で説明するのは難しいです。夫婦喧嘩の真っ最中胸が心配でどきどきしていたって、「なんたる幸せ?!」と思うのですから。心のなかの別次元で感じていることでは?と思われる方もおいでかもしれませんが、そうでもなさそうです。伝わるとも思えない言い方ですが、body mind & spirit で「幸せ!」と感じているようです。

   人生の目的ってこれなんだと思います。「幸せ?!」と思う回数やその深さを一定量満たせば、人生の目的は達せられるのだと。悟りはそのオプッションかもしれません。いえ、わたしはそうだと思っているのですが、言い切るだけの自信はありません。この人生まだ時間は残されているので、少し先に行くともっと素敵な気付きがわたしを待っているかもしれません。。。。ので。

   で、この気付きの芯にあるメッセージですが、それは、人生は体験することと覚えたり、です。これ、確信に近いものがあります。失敗を恐れず体験すること。あるいは、失敗の先の小さな成功は追い過ぎず、次の体験に行くのが好いかもしれません。これも現世的成功ではなく、なかで「わかったぁ~!あぁ生きるってこういうこと!」っていう、それ。。。

   これは、人間関係と自然を前にしたときにしか経験できません。

   夢にかかわってきて、実体験こそ人生の目的であり成長の素だと思います。

   誰に言いたいのでもない。自分に言いたい。自分に言って、自分を慰め、自分をいとおしむ。

   たくさん体験をしましょう。楽しいことも、嫌なことも。幸せも不幸せも。ときにだらけても好い。落ち込んでも良い。しかし臆病にならず、気楽に次の体験に移りましょう。

   小さい時から今に至るまで変わらぬ考えが幾つかあるのですが、そのひとつに、「悟性への距離は皆同じ」というのがあります。いまこの瞬間に生きている人が持っている悟りへのチャンスは、いつも平等で同じ距離にあります。ここには貧富の差も、知識の差も、教養の差も、経験の差も、ましてや(?!)人柄の差も、長幼の差も、あれやこれやの差もありません。望めば直ぐ体験できることでしょうか。

   この「望めば」というのが等距離を意味しますよね。こう説明すると、これってなかなかな考えと思えます。でも、惜しいことにこの表現だと、わたしの感じ方といくらかずれるかな、とは思いますが。

   説明が難しい。もう少し説明を加えると、「悟る自分の前に誰もいない」のです。前例になるものは存在しないだろうとわたしは思っています(これもまた分かりにくい表現ですが、先に行きます)。悟りへの何かがあるとすれば、背中を押してくれる自分の体験だけ。これでいくらか伝えたいことが説明できたように思います。

   わたしに誰かがこの気付きを教えてくれたのではありません。単に物心付いたときにそう思い、いまに至ってもこれは変わらないというだけのことです。

   ちょっと乱暴ですか?かもしれません。変わらぬと言えば、こんなこともあります。人は生まれる前に、一抱えの(様々な)感情の詰まった袋を背負わされていると言うものです。もうちょっと正確に云うと、これは生まれるときの祝福に、天が下さる贈り物です。一生のうちにこの袋を空にする感情体験をして、「一丁上がり!」になる訳です。

   これがなかなか難しい。悟りよりこの感情体験をする方が難しいかもしれません。

   証拠もありません。いままでこのふたつの考えを公にしたことは無いので、反論ももらっていませんが、いまこのときこんな考えがあると表明してもいいかなと思いました。

   時代を感じるわたしの感性が、ゴーサインを出したのでしょう。
そしてもうひとつ、物心ついて後変わらぬ考えが体験から生まれています。

   それは、小学生の低学年。毎日毎日が辛く緊張の連続で、寝床に入ってひとり興奮した心を鎮められないときに起こることでした。カラダを脱ぎたいほどに、肉と心の衣は疲れでいっぱい。ただただじっと凪いでいくのを待つだけ。そのとき極を体験すると、しばし周りのすべてが数学の法則性だけになるのです。幾何学的正確さのなかに、自分が浮いて存在しているのです。

   わたしもこの法則性のなかにいると、知りました。これは気付きでしたが、この後つぎからつぎに大病が待っていました。人生のはじめに真実を知って、実体験が後になった訳です。この体験をしたことで、苦の真っ最中でもどこかあっけらかんとしていられたようにいまは思います。大幅にはしょった話しですが、先に行きましょう。
   
   夢からのメッセージは、行動に移せないと夢に取り組む意欲が萎えてきます。極端なことを言えば、夢なんか無くていい!!!でも、夢があるから、夢に取り組むことで、自分がこの法則性のなかに居ることを知ります。

   半世紀過ぎて、この三つの気付き(考え?)は変わりません。長幼の差って案外ないと思うのです。その証拠として、この三つの考えが変わらないのだと。 

   体験(の体得)だけが生きること(価値)なのだと、今は確信しています。
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テーマ:夢に表れる心と身体と霊性の状態からその対処法を知る。 - ジャンル:心と身体

【2009/05/12 05:39 】
夢活用法 | コメント(3) | トラックバック(0)
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コメント
読んでいて楽しかったです。ありがとうございます。
【2009/05/12 07:41】
| URL | なお #-[ 編集] |
このコメントは管理者の承認待ちです
【2010/12/24 20:14】
| | #[ 編集] |
このコメントは管理者の承認待ちです
【2010/12/25 02:14】
| | #[ 編集] |
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