スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:-- 】
スポンサー広告
死にまつわる夢の話
        「死にまつわる夢の話」       

夢の話でも避けて通ることのできない、死にまつわるお話をしましょう。

先日の夢のクラスで、「死にまつわる夢にはどういうものがあるか」と質問を受けたので、そのまとめをざっとお話します。

夢の中の死は、死と再生をひとくくりに考えると死を受け入れやすくなり、積極的に生きようと言う意欲に変わります。
死があってこそ生まれ変わりが叶えられ、日々もその続き,日ごと夜ごとの生まれ変わりがあって,精神面の成長も叶えられるという訳です。

以前ご厄介になった山の生活では、葬式がびっくりする程多かったものです。
手作りの葬儀を住民全員(多分?一所帯二人が原則)が2日がかりでこしらえていました。今の都会生活では考えられない手間と時間の掛け方です。
死者へのご挨拶から始まって,通夜、それに続く葬式、その全てが終わった次の日,喪主が全戸を回ってお礼の挨拶回りにみえるので,四日間も死者への関わりは血縁でなくても続きます。昔日本はどこでもこうしていたのでしょう。
葬式の度にわたしは心を入れ替え,自分の人生を全うしようと決意を新たにしたものです。悲しいことに,怠惰な私は直ぐにこの大事な決意を忘れます。しかしこれが死者を送る幸運に出会えた,天からのプレゼントでした。夢も言ってみれば,これと同じ作用を起こします。

昔、「恋人が雪山で遭難する」という夢を聞かされました。その夢主の恋人は実際雪山で遭難して亡くなっているそうです。夢より大分前に。つまり、恋人が死んで結婚できず今に至っているのに、今更彼が亡くなる夢を見るのはどういうことだと、その真意を知りたかったのでしょう。
事故と夢との時間差がどのくらい離れているものかは、忘れてしまいましたが。

数年後その夢主が、亡くなったお父さんも交えて家族全員で生前と同じ様に食事をしている光景が夢に出てきたと、話してくれました。この家族にとっては,今でも父親が(心の中に)生きて家庭の要になっている様子。父親がいてくれたら、父親ならどうするだろうかと、何気無しにふと心をよぎるのでしょう。この夢主はいまも独身です。

この夢の話を聞いて,夢主が自分の人生を切り拓いたという実感を持つ程には,恋人と父親が忘れられていないのだなあと思った次第です。
こと程然様に、身近かな人の死を受け入れ、乗り越えることは難しいものです。

恐らくご本人はこのふたつの夢を反芻することで,いつかふたつの死を乗り越えるでしょう。これは私の願いでもあり,夢のダイナミズムへの信頼でもあります。
先にあの世に旅立つ者は,その方が使うべき自然がくれる空気や食べ物や飲み物を、この世に残す者へ、「どうぞ私の代わりに生かしてお使いください」と託して行かれたのだと思います。託された者はその意を受け取り,生き続けるのが責任なのでしょう。やがて再会のとき、「あなたが託してくれたものを充分活用しました」と、報告できさえすれば良いのだと思うのですが、いかがでしょう。

他人の死を受け入れることで,自分の心の古い側面、その人と一緒だったときの自分とさよならします。さよならできます。そして新しい環境や立場でそれまで知ることのなかった自分を引き出し、自分も生まれ変わり,新しい自分にふさわしい出会いが実現します。

しかし身近な人の死を受け入れるのは難しく、夢で死者に会いたいと願う人も沢山います。
これも、昔々ご本人から聞かされた驚くべき夢の話を。

1945年3月10日の東京大空襲を、子供のときに体験された女性の話です。
当夜空襲が始まって,両親と一緒に逃げたのだけれど、途中から一人になり,明けた後でふたりを探しはしたが,生きて会うことはなかったとのこと。会えない毎日を泣き暮らしていたら,夢に両親が出てきて元気に普通の生活を彼女としてくれるようになったというのです。しかし或る晩いつものように夢に現れた両親は、ゆっくりとふたりで道を歩くように彼女を置いて離れて行くのだそうです。見ているとふたりの行く手に大きな重い扉が現れて,それをくぐったと思った途端、観音開きの扉は閉まり,それきり二度と両親が夢に現れることはなかった、との話です。

この方も独身で最早生涯結婚されることはないと思われますが、夢を話す口調から,彼女は両親の死を受け入れ、自分らしい人生を切り拓いたのだと納得したものです。また日頃の彼女の一挙手一投足がそれを裏付けていました。歴史有るご家族のお女中を生涯変わらずお勤めしていました。女中と言う言葉が使われていたのは,ほんの30年40年前。裏方に徹する人生も又実り有る尊い人生だなあと、感動を覚えたものです。置かれた立場を感謝で過ごせたのでしょう。

普通死の夢と言うと,「親殺しの夢」といって、実際の死とは関係なく夢の中で親が死んで行くのを見る夢があります。親を確実に超えて一人前になるとき,夢の中で親が亡くなります。実際に報告を受けた夢で印象的なのは、花嫁衣装に身を包んだ自分の腕の中で、父親が段々小さくなって死んで行くという夢がありました。
ご本人にとってはかなり衝撃的ですし,「悪夢に違いない」と、他言の難しい夢です。夢の真意を知れば、むしろお祝いの夢、ランクアップの夢、成人祝賀の夢で安心すべきものの類いになります。
夢を知るようになると、却って見たい夢の類いでしょう。

ところで、「現実に起きる外側は心の反映である」としたら、身近な人の実際の死も、やがてこのようにお祝いすべき出来事と受け取れ、私たちは悲しまず,苦しまず、元気にいられることになるでしょうか?そんなことは断じてないこと,あり得ないことです。
行き着くところはそうせざるを得ないとしても,悲しみ,苦しみ、恨み、嘆き、悶え、悩み、心の悲嘆は留まるところを知りません。


私はこれまで,普通の人が哲学書を読むように,夢が教える生き方とはどういうものだろうかと考えながら,夢に接してきました。
今現在私なりに得た回答らしきもの,それは「感動」でした。夢が教える生き方で最も大切なものは、感動を覚えること。その核心は感動を心がけること。感動の中にこそ精神性霊性の有り様が見え,その高見を知り,精神性霊性に叶った取り組みを教えてもらえるようです。逆に言えば,感動が自分の精神的霊的姿を知らしめ,善悪に由らない価値基準を教えてくれます。

身近な人の死を体験することで,情動の極みを体験し,自分の他者への愛を感じ取り,その感動がやがて自分を支えます。感動を感じることがなければ,それは自分にとって真実になり得ません。また,感動を感じないのに行動すれば,混乱を生じさせます。説明が更に必要な文章になってしまいましたが,手短かに言えば,感動がない結婚をすれば不毛だし,感動を覚える仕事なら多少の無理は効き、感動を更に深めたいと思うでしょう。死を体験するのもこういうことのようです。
この感動については又別の角度からお話しすることになるでしょうが、今日のところはここまでで。

次回もこの『死にまつわる夢の話」の続きとして,生前死を予告する夢と、死後の状態を知らされる夢についてお話ししようと思っています。では、お楽しみに。
スポンサーサイト
【2007/07/12 16:23 】
夢で心と身体の健康状態を知る | コメント(1) | トラックバック(0)
<<「死にまつわる夢の話」の続き | ホーム | たばこ>>
コメント
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2007/07/24 01:05】
| | #[ 編集] |
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://dreamhealth.blog102.fc2.com/tb.php/17-f80e10a9
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。