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神様からのアッパーカット

       「神様からのアッパーカット」


 一昨日(三月一日)の朝の瞑想中にふとよぎった事です。

 宮崎の鵜戸神宮が好き。。。。。(から、はじまって)見ず知らずのわたしの手紙だけで、仕事を斡旋してくれた高千穂の町長さん。それにしても。。。高千穂の旅館で働いていた最後の日,自室のドアの隙間に見つけたお手紙の主。

 脈絡もなく,昔受けた親切に身体が反応します。

 手紙を下さった方のお名前も,お顔も覚えていないのに,「あなたの生きかたは素敵です」と書いて下さった,その事を思いだし、奇跡のプレゼントを見ず知らずの人に神が託して下さった事を、どこかで納得するのです。

 その方とは、ほとんど話をした事もなく,接点もなかったのに,お別れの日にお手紙を下さったのです。わたしは返事を未だ差し上げていません。もう20年も前の事です。どうしてそう思って下さったのか,計りかねて、面映過ぎて,返事が書けずやり過ごしてしまいました。

 傷ついた事や,邪険に扱われた事には,深く感謝できるようになり,その体験は有り難く,涙と笑みを持って流せるようになりました。。。 ・・・やっと。しかし、見ず知らずの方々から見返り無しに掛けられた親切や恩義を、返礼できずに抱えています。そんな思い出が幾つもあります。これをどうしたら良いのだろうと、突然思ったのです。

 去年医療事故で前触れなく亡くなった恩人に関する夢を、たて続けに見ました。二月十八日に見た夢は,妹さんに形見の品を何かいただけないでしょうかと,泣きながら頼んでいます。夢のなかでさえ,欲しいものは何もないのに,何でこんな事を頼んでいるのだと,引いています。だって、彼女が掛けてくれた親切をわたしが引き継げば良いのだ、それが彼女の遺品と,分かっているのですから。

 10日後の二十八日,彼女の葬式の夢を見ました。この夢で,彼女が私たちに無償の愛で自分たちを生きるようにと伝えてもいるのだなあと思ったものです。平たくいえば,さっさと前進すること。彼女が掛けて下さった恩義に報いるなどと考えるなともいうのでしょう。そうです。できない相談ですもの。

 そんな思いに後押しされてでしょう、いつもの散歩代わりに、鎌倉の町の梅見に出かけました。最初にお寺さんを。早めに。ふたつのお寺のつぎに,二週間前に見たお屋敷の梅の木を見ようと歩いていたら,風情の有る数寄屋造りの御門の前で,紳士がお二人と有能そうな女性が写真機を持って,夫に声をかけてきました。写真を撮って欲しかったのです。ご要望に応えて、いつものように先を急ごうとしたら,「この奥には観光客には気付かれない穴場がありますよ」と、若い方の紳士が私たちを引き止めます。道からは見えない円弧を描いた駐車用空地の奥に個人住宅の門が見えて,門の先は細い道路が片側山肌にそって作られているのです。その山肌にびっしり植えられた初夏に咲く花は、外を通る人の目からはずれてひっそりとにぎやかに白い楽園を造ってくれるでしょう。

 その紳士のご親切は有り難くはあるけれど、と、ちょっと思ったものです。だって、私の関心はあの華麗な御姿の梅が華やいでいるところを見たいのですから。はやる気持ちは抗し難く、先を急ぎたかったのです。

 知らない人のお宅の庭に植えられたその梅は、二週間前まだ咲いていませんでした。金網越しで、道路より遠いけれどその木の価値は充分感じ取れました。それを見るのが今回の目的なのですもの。

 「この先に梅の木があって,それを見に行くところです」。こういえば,無罪放免にしてくれる,と考えたのです。浅はかにも。

 ところが、「それは、わたしの家のです」と、思いもしない答えがその紳士から返ってきました。「ああ、これだ!」、と思ったものです。短くはない人生を生きて来ると,夢の叶い方に脱帽させられるのです。それがいつもショックなんです。まるで、もっと謙虚に。もっと。と言われているような思いにさせられるのです。

 その紳士は「どうぞおはいりください。上がってお茶を飲んで行って下さい」と言ってくるではありませんか。見ず知らずの,通りがかりの、どこの馬の骨とも分からない者に,あのお家に招き入れようというのです。びっくりしました。でも、あの梅を見たいという切なる思いの前で,唯々諾々とお申し出を有り難く受けたのです。

 この紳士は最近縁あってその屋敷を購入したようです。お住まいは鎌倉の別のところ。ここは何にお使いなのか,分かりませんが,お庭はきれいに手入れされています。どこもかしこも。それもご趣味の核がちゃんとあって、主の意向に添って,庭師が贅沢に手をかけている事が,門をはいってはっきりしました。

 くだんの梅は何本もの添え木に支えられて,華やかに優麗です。この梅の樹形に丁度の八分から九分咲き。後にこの邸宅の主は、絵にするなら,ここがどこと分からないように,人を連れては入らないないようにと念を押されたので,ここでも少しのヒントも残せません。梅の木の形も表現しませんが,見事でした。陽射しも梅を愛でるように逆光を投げかけ、この一時を申し分ないものにしてくれました。

 しばらくお庭を堪能し,鎌倉らしい痕跡を庭のあちこちに認めながら,上がらせていただきました。

 いまどき、こんなに贅沢な別荘があるんだと,感心しました。何か使命でもお感じでこんな事をなさっているのでしょうか。だって芝生のなかにも可愛い花が群れるように,昭和初期に立てられたという和風建築は和式でありながら,華麗なのです。すべてがこの趣を踏襲しながら,生活できる設備になっているようでした。そういえば、かなりの椿に迎えられましたが,どれも同じはなく,一本一本吟味されているらしい事も伺えます。

 上等の和菓子にお煎茶の歓待を、六人掛けの掘りごたつでいただきました。女性がご用意くださったのです。目の前が,花を装った梅の木。戦前の窓ガラスは小さな木枠の桟にはいっています。そのガラスのどれもが磨かれて、御亭主とこの屋敷の管理をされている方の心の有り様を知らされた思いでした。

 どうしてあの方は、私たちにお声をかけて下さったのでしょうか。まだ他に人影はありましたから,私たちでなくても良かったのに。その後のことを考えても,宇宙の諸力が私たちの上にはたらいてくれたとしか考えられません。あのお方がなにかを私たちに感じられて,あの梅の木をたっぷり見せて下さった,とは思えません。失礼ながら。それほどに感激して,その晩、寝てても興奮で目が覚めてしまいました。
 
 お庭に招き入れていただいた後になって,「夫は絵描きの卵です」と、名乗りました。そして、わたしは夢の専門家だとも。せめてもの返礼と考えたからです。

 あの梅の木を夫は充分に絵にしてくれましょう。梅の木が彼を後押ししてくれているように,あのとき実感したのです。胸にその感触をいただいたのです。

 神様から,がつんとやられました。
 純真な思いって,叶うものなんだって,言ったら、身も蓋もない。
 でも、言わせて下さい。

 梅の木さん、ありがとう。そうそう、神様もありがとう。

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【2008/03/03 10:36 】
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